全飲連創立40周年記念
田中清三会長特別インタビュー
嬉しく、楽しく、有難く
組織の出会いに喜びを感じる全飲連に
全飲連創立40周年記念全国福岡大会を前に田中清三会長に、40周年を迎えた感想と今後の全飲連の方向性についてお話をいただきました。
■全飲連が創立40周年を迎え、会長としてどんな所信をお持ちなのかお聞かせ下さい。
田中会長●嬉しく、楽しく、有難く、この三つの気持ちを大切にしています。この気持ちが無ければ、これからの時代を生き残るファイトが出てこないと思います。特に、感謝の気持ちを持たないと。全飲連会長として、リーダーシップを発揮していくことは、まずはこの三つの気持ちで臨んでいくということ。そういいながらも、組織の長としての役割を果たせているか、商売も厳しく大変なことが多いですから、不安感があります。ところが、総会などで皆さんの明るい顔を見ると、一人だけ落ち込んでいたら駄目だと感じます。みんな同じ道を歩んでいるんじゃないかと、これだけみんなが元気ですから、自分もがんばろうというふうに、組織の出会いに喜びを感じるんです。会員の皆さんから教えられるんですよ。
■田中会長が就任してから全飲連が変わってきたという印象を持っているのですが。
田中会長●会長に就任して2年間が経過しましたが、全飲連の雰囲気が変わったと言われることがよくあるんです。これは、組織運営に私なりの特徴が出せていると思って、非常に有難い言葉だと受け取っているんです。これは、副会長さんはじめ多くの役員の皆さんが一致結束して、私を支えていただいている表れだと思っています。
■田中会長は、長い間、大会委員長をなさっていましたが、振り返って印象深い大会はありましたか?
田中会長●実は、平成7年大会は福岡県大会の予定でした。それが、さまざまな事情から開催ができなくなり、非常に困りました。平成元年の沖縄県大会以来、九州地方での大会はありませんでしたから、是非九州でという思いから、鹿児島県へ打診しました。しかし、鹿児島は水害に見舞われていて、市内は悲惨な状態でしたね。当時の岩重鹿児島県理事長と組合の方々にお願いするために、鹿児島に行きましたが、それは想像以上の状態でした。
私自身は内心「これでは無理だろう。」という思いでした。事実、役員会でも「こんな時期は無理だ。」という意見が大半を占めていました。ところが、私が役員会の席を外して、再び呼ばれた時、岩重さんが「OK」という合図をしてくれたんです。これが一番嬉しかったですし、印象に残っていて忘れられません。
大会委員長をやらせていただいたことで、いろいろな出会いと感動を経験することができました。会長としての基盤を作る事ができたと思っています。今ではテレビの天気予報を見ると、九州から北海道までの理事長さんの顔が浮かんできて、「元気かなあ、どうしてるかなあ。」と思い返しています。
■全飲連全国大会の役割を一番理解している会長だと言えると思いますが、今後の大会のあり方についてはどのようにお考えですか?
田中会長●一年を通じて、いろいろなお祭りがあるように、全国大会も続けていく必要があると思います。特に、経済状況が悪い時代には、全国大会のような祭りが必要だと思うんです。確かに、経済的には大変だとは思いますが、毎年その祭りに参加するということは、誇りをかけて生き残った証拠。「祭り」ということ自体が昔から、その年を生き残った喜びを表現していた訳ですから。
マンネリ化しているという声も聞きます。しかし、正月や節句などの行事にマンネリが無いように、継続することの大切さもあると思います。
■昨年はBSE問題、深刻な不況など課題が多い年でしたが、全飲連が今後、業界で果たしていく役割についてお聞かせください。
田中会長●BSE問題で感じた事は、全飲連として行政に対して、大きな声を出していかなければならないということ。そのためには、組織力を付けていくことが重要になるわけですが、例えば中央会の中での全飲連の立場を確立していくことは会員の要望となっています。国民金融公庫の民営化なども取り沙汰されています。そんな時には、我々の出番として全飲連の旗を振って、はっきりと意見を言っていきたいです。
また、それぞれの会員のことを考えると、消費者に食の安全を提供するための方策を提案していきたいと考えています。例えば、すばらしいアイデアや技術をもった食品生産者が沢山いるわけです。そういった生産者と会員が結びついて、消費者に喜ばれる食品を提供していければと思います。結局は、会員それぞれは中小企業です。まずは個々が安泰でなければ組織は安定しませんから。
幸いにして、副会長の皆さんを始めとして、有能なスタッフが揃っています。そういった力を借りて、新しい全飲連のビジョンを実行していきたいと思っています。