味つづり〈84〉 倉橋 柏山
栗蒸しようかん
「炊き上る時の甘き香栗御飯」 菅井 いな秋になると料理教室で栗ご飯の要望が多く、人気も高い。江戸時代に刊行された「名飯部類」にも、栗ご飯の記載があり、江戸っ子も好んだようである。栗ご飯は、母から子へとおふくろの伝承料理で、受講料を払って習うものではないと思うが、より美味しくとプロの味を求めるのか? 理解に苦しむことがある。作り方を書き出してみると、作り方も種々あるものだ。表皮の固い鬼皮に切り目を入れて焼く。鬼皮をむいて、渋皮を火にかざして焼いて渋皮をむく。焼く手法にも二種ある。かちぐりと言って、鬼皮をむいて日干しにする。本来は保存が目的であるが、必要に応じて水に浸して皮をむく。洗っておいた米を釜に入れ、水加減をして、それぞれ下処理をした栗を加えて、軽く塩味をつけて炊く。味もそれぞれ微妙に異なる。当然、生栗の渋皮を入れ炊きあげる栗ご飯も、江戸時代にはあった。
句に詠まれる栗ご飯は、生栗を炊いたものであろう。大きい栗を一個丸ごと入れると火が通らず固いので、二つ、三つ、あるいは四つ位に切って入れる。炊きあがった栗の甘い芳香は食欲をそそる香り、美味しさを表わす匂いでもある。炊きたての熱々を口に入れると、ほっくりと栗が口の中でくずれて、甘い香りが鼻孔をつきぬける。米に二割ほどのもち米を加えると趣が一味異なるから不思議だ。茶碗によそり黒胡麻を振る。又、ぎんなんを二つに切って栗と一緒に炊きあげると萩ご飯。味も風情も変わって美味。
栗は、ブナ科クリ属の落葉高木。日本の原生種は、シバグリと呼ばれる小粒の山栗で、北海道中部から九州の南端に至る広い地域に自生する。縄文時代の遺跡からクルミと共に見出され、日本人は古くから食していた。九月から出る早生種。粒も大中小と多種類が栽培されている。
栃木の山奥で育った私は、夜、風が吹くと朝の栗ひろいが楽しみでわくわくした。木から落ちたばかりの新鮮な生栗を食べると、乳白状の白い液が出る。「松露取り生栗喰った口白い」江戸川柳にも詠われ、江戸っ子も栗を生で喰ったことがわかる。
栗は、李(スモモ)、杏(アンズ)、桃(モモ)、棗(ナツメ)と共に五果の一種で、古くは果物として扱われた。秋の夜の楽しみは焼栗である。鬼皮ごと、囲炉裏の灰に埋めて焼く。時にはバーンと破裂して四方に灰と共に飛び散ってびっくりする。鬼皮に切り込みの入れ方が足りないと大きい音を出して爆裂する。焼栗は新鮮なものより、乾燥させたほうが、ほっくり甘味が増す。茹で栗もしかりである。都会暮らしでは焼栗も遠い昔の味になってしまった。
かちぐり(勝栗)の語源からか、戦国武将は出陣、戦勝の酒肴にかち栗は欠かせなかった。栗は20m近い大木になり、古樹は建築材にもなることから、武田信玄は信州の松代に栗を沢山植えた。飢饉の備えと建築材に用いるためにである。
秋の和菓子の代表は、栗蒸しようかんである。
渋皮をむいた栗は、みょうばん水に30分ほど浸し、2〜3度水洗いする。くちなしの実を割り、ガーゼに包んで水から煮出すと黄色に染まる。
くちなしの煮出し湯に栗を入れ、レモンの輪切りを加えて火にかけ、栗に八分通り火が通ったら室温になるまで冷ます。栗がひたひたにかぶる同量の砂糖を加え、紙ぶたをして、弱火で2〜30分、栗がおどらないように煮含めて、栗の甘煮を作る。
小豆こしあん400gに対し、小麦粉40〜50g、水120㏄、塩少々と刻んだ栗の甘煮120gほどを加えて良く混ぜる。流し缶に平均に流し入れ、表面に甘煮の栗を飾り、30分ほど蒸す。表面の栗は浮き出るので、良く埋め込んでもう一度蒸す。冷めたら表面に、砂糖水で煮溶かしたカンテン液をぬると栗蒸しようかんの出来あがりである。