味つづり
50〉 倉橋 柏山

 不老不死の仙薬


 秦(中国)の始皇帝は徐福に命じて不老不死の仙薬を日本に求めて派遣した。和歌山県にたどり着いた徐福は、各地を探し求めて歩いた。やっとのことで探し当てたのが、九穴のあわび(鮑)であったといわれる。せっかく探し当てた仙薬であるが、長い旅の疲れが病いになり、故郷を夢見ながら不幸にも客死してしまった。あわびに穴(管孔)は九つはないそうであるが、仙薬なればこそ九穴あったのであろう。日本でも古くからあわびは精のつく長寿の妙薬、しかも、食べて旨い!
 あわびの身を薄く、長く削りむき、引き伸ばして乾燥させたものを「あわび熨斗」という。本来は保存のために作られたものであるが、食して旨く、しかも精がつくことから神饌物となった。祭りは神との共食が始まり。古くは、初もの、めずらしいもの、美味しいもの、滋養のつくものは必ず神に供え、そのお下がりを食べた。「熨斗」はめでたい字義でもあり、あわびは海の幸の第一等でもあることから、おめでたい席の贈物に「熨斗あわび」が添えられるようになり、今日熨斗袋の右上などに刷られてあるのはあわび熨斗の名残りである。又、贈物の主旨によって、鯛熨斗、さざえ熨斗などが用いられた時代もあった。過日、孫を連れて房総の花摘みに行った折り、あわびのステーキ風を食べた。小学生の孫は旨いと言って大喜びであった。
 あわびとろろという夏向きの汁物がある。くろあわびの雄に塩をまぶしてタワシで全体をよくみがき、さっと水洗いして、水気をふきとって、目の細かいおろし金ですりおろし、なめらかにすりおろした山芋と合わせ、吸い地強に調味した旨出汁をあわびとろろに少しずつ注ぎながらすりのばす。冷たくしてガラスの器に注ぎ、水わさびか、おろし山葵の薬味でいただく。醍醐味とか、至福とは、こんな味わい方をさすのであろう。酒いりという簡単で旨い食べ方もある。めがいあわびを塩みがきにして、斜めに薄くそぎ切りにする。鍋に適宜に酒を入れて火にかけ、沸騰したら、薄切りあわびをいっきに入れ、箸で全体をほぐし、あわびがちりっと返る頃合に火を通す。器に大葉を敷き、あわびを盛り、岩茸山葵醤油和え、酢取り茗荷、レモンなどを添える。程良い歯ごたえとやわらかさ、あわび特有の磯の香があって、刺身とは一味異なった楽しみがある。あわびはすべてが旨いかと言うと、さにあらず。横浜のホテルの祝い事の席でフランス料理の「鮑と鱸のオリーブオイル焼き香草風味グリーンアスパラ添え」という長いメニューのあわび、ナイフで切れないほど固く、味もない。お世辞にも旨いとは言えない。あわびなど、貝類は生きている物を手早く調理しないと旨くないようである。じっくり時間をかけた酒蒸しは、箸でちぎれるほどやわらかく滋味深い味わいがある。大根と一緒のやわらか煮には、酒蒸しとは異なった美味しさがある。海辺の旅館やホテルでは「地獄焼き、磯焼き」と称し、コンロに金網をのせ、その上で殻ごと目の前で焼かれるためか、野趣味が喜ばれるようである。
「磯のあわびの片想い」といわれ、ミミガイ科の鮑は、片貝と思われるが、稚貝の頃は、らせん形の殻とふたがあり、れっきとした巻き貝である。青森県には「いちご煮」というあわびとうにを用いた汁物がある。晴れの日の一番のご馳走で、郷土料理本による作り方は、鍋に湯を張り、煮立ったら、酒、醤油、塩で調味したら生うにをいれ、うにに火が通ったら、薄切りにしたあわびを加えて火を止め、お碗に盛り、青じそのせん切り、長葱の小口切りを薬味に加えるとある。これ又贅沢きわまりない美味なる料理である。
 肝は塩水でさっと洗ってそのまま食べるのが最も精がつくといわれる。あわびほど料理法によって味が大きく異なる素材も少ないのではないだろうか。