全 飲 連 ゼ ミ ナ ー ル
平成15年度 九州ブロック講習会
10月7日 那覇市ロワジールホテルオキナワ
100歳を生きる
〜沖縄の食と長寿と文化〜講師 沖縄国際大学教授 鈴木 信氏
北米の最高齢者は沖縄出身の男性
今日はとても元気なご夫婦の話をしましょう。おじいちゃん106歳、その奥さんが89歳、17歳違いのご夫婦です。
このおじいちゃんは、アメリカ、カナダを含めてもっとも長生きの男性です。1888年、明治21年2月27日に沖縄の名護で生まれました。10歳から山で薪を拾い家計を助けていましたが、兄弟が多かったので食い扶持を減らすために、17歳のときにカナダで労働力の応募があることを知り、はるばる船に乗ってカナダのバンクーバーへと向かいました。
1905年頃のバンクーバーは大変な田舎。人出が足りず労力が必要でした。そこでは西海岸に向かって鉄道をひく仕事に従事しました。今の枕木はコンクリートでできていますが、当時は木を使っていましたので、まず木を切り倒して枕木にし、その上に鉄の線路を引くという大変な仕事でした。しかし、一生懸命働いても賃金は充分ではありません。なので、夜はサーモンの燻製を作る会社を手伝い、夜昼働くという重労働に耐えたのです。また、当然ですがカナダは日本語ではありません。週末や夜に英語の勉強を続けました。そして、働いたお金を貯め、ようやく50エーカーの土地を買いそこに自分で家を建てることができたのです。
昭和10年、47歳になりそろそろ結婚しようと思いました。「結婚するなら沖縄の女性がいい!」と、このとき初めて沖縄に帰り、名護で奥さんと出会いました。しかし彼女には亡くなった旦那さんとの間に生まれた2人の子どもがいたため、プロポーズを躊躇したのです。すると彼女のお父さんが、「あなたの一生なのだから、どうしても好きなら一緒に行きなさい。2人の子どもは私がみるから」といってくれ、お父さんに子どもを預けカナダに行くことになりました。
1939年、51歳のとき長男が誕生しました。1941年には太平洋戦争、第二次世界大戦が始まりました。カナダはアメリカとイギリスと連合国を組んだことで日本は敵になり、日本人は全て収容所に放り込まれました。やっと買った土地や家は全て没収。留置所に入れられた時は沖縄に帰ろうと思いましたが、「カナダに来たのはカナダに骨をうずめるためでしょう」と奥さんに言われ残ることを決心したそうです。
1948年、ようやく収容所から解放されて自分の家に帰ってみると、中国人の夫婦が沢山の子どもたちと住んでいました。追い出すのも忍びないと思い、1948年にバンクーバーから奥のオンタリオ州のニキゴンというところに新しい土地を見つけました。ここでも農夫として働きお金を貯めました。1965年、77歳。子どもたちも大きくなり、もう仕事を辞めてもいいのではと現役を引退。1968年、80歳で「第2の我が家」を買いました。その後、奥さんとこの家で仲良く暮らしています。
長寿の秘訣は、食事・運動・楽観主義
おじいちゃんが100歳を超えたとき、カナダにある日本語の新聞社が取材をさせて欲しいと、トロントから車を飛ばしてきました。そのときにおじいちゃんは湖で魚を釣っていました。淡水魚を釣りその新鮮な魚をすぐに奥さんが料理して食べる、というのが日課だったのです。新聞記者が「おじいちゃんが元気でここまできた秘訣は?」と聞いたら、奥さんが「私が生かしているのです」と言ったのです。
これはとてもたくさんの意味があると解析してみました。まず、どんなものを食べているのか。おじいちゃんが好きなのは魚、野菜。特に沖縄料理のゴーヤチャンプルが好きなのですが、カナダには豆腐がありませんでした。そこで自分の畑で作っている豆を使い、またゴーヤの代わりにズッキーニを入れて、特製「ズッキーニチャンプル」を作ったのだそうです。ふるさとの伝統的な沖縄料理の味をカナダにある材料で一生懸命考えて作ってあげていたのです。「私が生かしている」という言葉にはこういうこともあるのです。単純な食生活、低脂肪、少ない肉食。そういったものが「おじいちゃんの元気で長生き」につながっているのではないかと思うのです。
またとても活動的な生活をされている。今でも魚釣りや畑仕事など、肉体的にアクティブな生活を続けているので、わざわざ運動をする必要はないのです。1に食事、2は運動です。
沖縄の人はなぜ長生きの人が多いのでしょうか。沖縄では戦争で多くの人が亡くなったという過酷な体験をしてきました。しかし沖縄の人は決して後ろ向きではなく楽観主義ともいえる沖縄の人たちの性格があると思います。自分の家を取られてしまっても何とかなるさという楽観主義。それが長生きのもうひとつの秘訣かもしれません。
沖縄の伝統食がホルモン系のガンを防ぐ
沖縄の長生きはいつからなのでしょうか。1975年から5年おきに行っている国勢調査によると、沖縄の男性は75年には10位で、1位は東京、長野が4位でした。80年には沖縄が1位になったのですが90年は5位、その年の1位は長野。95年は沖縄4位です。2000年には26位で、長野はずっと1位です。
なぜこういう順位になったのか95年に調べてみました。死亡率をみると、80歳の人は沖縄よりも本土の方がたくさん亡くなっています。75歳、70歳も同じです。しかし55歳の人は反対に本土よりも多く亡くなっていました。つまり沖縄の55歳以下の死亡率は全国の平均よりも悪いのです。女性の場合も45歳から逆になります。
沖縄は世界有数の長寿地域です。例えば、心臓病をとってみると、沖縄では人口10万人に対し18人が亡くなっています。日本全体では22人、アメリカは100人です。次に脳卒中は、沖縄は10万人あたり35人、日本全体では45人、アメリカは28人と少ないのですが、ガンになると沖縄97人、日本106人、アメリカ132人と沖縄が少ないのです。とくに乳ガンは沖縄6人、日本11人、アメリカは33人。沖縄でホルモン系のガンが少ないのは「沖縄の食生活と女性ホルモン」に関係があると思われます。
沖縄の女性は生理が終わる閉経が遅く、しかも更年期があまりないようです。骨密度も高く、動脈硬化が少ないため脳卒中や心臓病も少ないのです。それは「豆腐」のおかげではないかと思います。大豆や豆腐の中には女性ホルモンと同じような構造をもつものがあります。植物ホルモンというのですが、これは更年期を予防し、しかも乳ガンを防ぎ、骨を強くし、心臓病から守るの。いつまでも、若々しくいられるのです。そういったものを昔から摂っていたのです。しかし最近の若い人は、こういうものをあまり摂らなくなってしまいました。それで死亡率がグンと上がってきたのだと思います。やはり伝統食はとても大事なのです。
世界が注目した「オキナワプログラム」
沖縄の100歳の人がどんな生活をしているのかを、私が英語で書いた「オキナワプログラム」という本がアメリカで5月1日に発売されました。その本が出版された翌日にいきなり2位になり大騒ぎに。ハーバード大学で講演会もしました。今では各国の言葉に翻訳され、世界中で話題になっています。
そういうこともあり「どこに行けば沖縄についての勉強ができるのか」という問い合わせが世界中からインターネットを通じ来ています。そこで今年の2月、沖縄国際大学でセミナー合宿を行ないました。
そこでは朝7時に起きて体操をし、長寿食を食べる。講義を受け授業が終わった後は、自分たちで材料を買ってきてゴーヤチャンプルなどの郷土料理を作って食べる。料理は、材料などはあまり重要ではなく調理の仕方が大切なことなのです。例えば郷土料理の「てびち」。昔からの作り方は肉から出るラードを1時間ごとにすくって8時間煮込む。すると余分な油は抜け残っているのはゼラチンやコラーゲン。コレステロールはなくなっているのです。ところが今の作り方は時間を短縮するために、そのままオーブンに入れて作るのでコレステロールがそのまま残ってしまいます。
もう1つは食べ方。「ちゅらさん」のようにワーワー賑やかにして食べるのがいいのだと思います。これはストレスを発散するので、体の中の免疫作用が変わってきて、それが長寿につながっていくのだと思います。これは栄養学ではなくて食文化ですね。食文化が第1点、これが大きなファクターではないかと思います。
次に体を使うことです。今の人は目や指だけといった体の一部分しか使わないので、もっと全体的に使うことが必要です。全身運動、特に有酸素運動が必要です。
そして「瞑想をする」精神の健康ということです。
こういうプログラムを4日間行いました。参加したこの人たちがどのように変わったか、前と後で比べてどのくらいよくなったか、本当に沖縄のライフスタイルは良いのかどうかを今後証明しなくてはいけないと思っています。
沖縄には「長寿につながる文化」が脈々と
沖縄の人はご先祖様に祈願します。これはおばあちゃんの仕事ですが、ご先祖様と孫をつなげる役割意識があるのだそうです。祈願すると心の中の嫌なことを全て吐き出すことができ清浄作用があるのです。このように女性は精神的に癒されて生活することができるから長生きになるのです。良い「気」を育てていける自浄が発達しているのです。
沖縄では97歳のお祝いをします。結婚式よりも盛大な式です。97歳のおじいちゃん、おばあちゃんから杯をもらうと「あやかれる、長生きできる」。触るといい魂がつながるということです。そういう長寿につながるすばらしいが文化が沖縄にはあるのです。
鈴木信氏プロフィール
1933年 神奈川県生まれ。
1958年 慶応義塾大学医学部卒業
1970年 メルボルン大学へ留学
1976年 琉球大学保健学部付属病院助教授
1983年 琉球大学医学部教授、琉球大学地 域医療センター長に就任
1999年 琉球大学医学部名誉教授に
2001年 沖縄国際大学教授就任
主な著書に「オキナワプログラム」があり、アメリカでベストセラーとなっている。