味つづり〈111〉 倉橋 柏山
    盛夏の味無き味

  ウリ科のつる性の植物で「冬瓜(トウガン)」という夏野菜がある。原産は熱帯アジアで、ジャワ島には自生地帯があるそうだ。
 名の由来は、貯蔵がきいて、冬場になってからでも利用できるからであろうといわれる。
 日本に現存する最古の医学書「医心方」丹波康頼(九一一~九九五、延喜十一年~長徳一年)に、冬苽(とうが)、和名:加毛宇利(カモウリ)。冬瓜は冷やす働きがあって毒を解き、消渇(のどの渇きを止める)を治し、小便の出をよくするとある。
 仕事柄、夏になると冬瓜料理も作ってきたが、味をみるだけで、食べたいとは思わなかった。が、不思議なもので、齢をとると無性に食べたくなる。
 以前は扱いに困るほど大きかったが、最近は小玉西瓜並みに小さく、それを半分に切って売る店もある。獅子文六の「食味歳時記」に、「夏野菜に、冬瓜というものがある。あんな薄ボケた味は、若い人が好まないから……冬瓜だけはご免、という青年男女がずいぶん多い」と書く。夏近くなるとどこのスーパーの店頭に並ぶことを見ると、それなりの需要があるのだろう。
 97%以上が水分で、栄養価に見るべきものはないが、利尿効果と腎臓病の食事に用いられてきた。
 夏の懐石料理には欠かせに素材で、味無き淡白な味わいが喜ばれる。皮を薄く向いて茹で、鶏や海老のそぼろあんかけにする。生姜のしぼり汁落としは、盛夏の涼味で、暑くても冷たくしてもよい。
 私の好みは、薄く短冊状に切って味噌汁の具、だし汁を火にかけ、塩と淡口醤油で味加減をととのえ、短冊切りの冬瓜を加えて火を通し、葛粉かカタクリ粉で薄いとろみをつけ、生姜汁を落とす食べ方が好きである。
 冬瓜の卵寄せは盛夏の涼味として若い人にも受け入れられているのではないだろうか。
 冬瓜は乱切りにして皮をむき、茹でて水に取り、吸物の地より強めの味で煮含めて裏ごしか、フードプロセッサーにかける。
 卵豆腐地(溶き卵五に対し、調味しただし汁五)。裏ごしした冬瓜が加わるので、卵を多めに加えてよく混ぜ、流し缶にきめて弱火の火加減で蒸します。「す」が入らないようになめらかに蒸し上げることである。食べ良い形に切り分け、海老の酒塩煎り煮、蒸し鶏、チンゲン菜の浸しを、器に彩りよく盛りつけ、銀あんをかけて、おろし生姜か、おろし山葵を添える。会席料理の一品。単品料理としても用いることができる。蒸し鶏の替わりに合鴨ロースを盛り合わせると、若い方向きにもなり、冷し物、羹と併用できる。
 古くは、糟漬け、ひしお漬け、味噌漬けなどと、漬け物として用いられたようである。
 味無き味の薄ボケた冬瓜も利用次第でそれなりの味が楽しめる。
 冬瓜は厚目の短冊切りにして、甘煮にして一晩味を含ませる。一日か二日風干しして、全体に砂糖をまぶす。砂糖が溶けるので、再度砂糖を全体にまんべんなくまぶして風干しする。これを三~四回繰り返すと、冬瓜の砂糖漬けができ、ちょっとした干菓子ができあがる。
 沖縄には、20キロにもなる大冬瓜があると聞くが、私も三浦三崎の知人からびっくりするほど大きな冬瓜をいただいたことがある。
 丸ごとなら冬期まで保存がきくが、使いきれず半分残すと、傷みが早い。その点、小さな冬瓜は使いやすく、サラダにしても良く、ありがたいが小さいせいか、味の無い冬瓜の味がさらに薄くなったような気がする。
 冬瓜は、切る、皮を剥く、茹でて濃厚なだし汁で煮含めるなど、盛夏に火を使って手間ひまがかかるので若い方は嫌うが、年をとるとひと夏に一度や二度は食したくなるので、若い方も嫌わず食べなれることである。家庭料理は愛情が味の決め手であることを心してほしい。