第53回全飲連福島県大会まであと7か月
2015年6月24日開催
理事長訪問 第17回 福島福島県飲食業生活衛生同業組合
紺野 昭治 理事長に聞く
来年で震災から4年。
福島に来て、見て、感じてください。―まず、震災から3年が経過しましたが、福島県の現状を教えてください。
紺野理事長■飲食業界としては、食材の安全検査が万全に行われているので、今最も安全な食材を提供していると言える状況にあります。ただし、様々な報道によって風評被害はなかなか無くなりません。
また福島第一原発の廃炉作業が始まりましたが、現場を見てきた感想として、今後の作業の難しさを感じています。福島にとってはつらい時間が続くことになりそうです。
―2012年に全国大会誘致に名乗りを上げたのはどのような思いからだったのですか?
紺野理事長■あの時は震災から1年しか経っていませんでした。とにかく全国の方々に、福島に触れて欲しいという思いからでした。見るだけでなく触れて欲しいですね。福島で起こっていることは、決して福島だけのことでなく、日本中のことなんだということを感じて欲しいという思いです。
―紺野理事長は、京都大学で哲学を学んでいらっしゃったとお聞きしました。家業に入られた経緯を教えてください。
紺野理事長■中退してしまいましたが。その後は、京都や東京で塾の経営をしていました。36歳のときに弟に「店の経営を助けてくれ」と請われて家業に入りました。私自身は挫折して都落ちしたと思っていました。
当時はこの場所(福島市民の信仰の山で、花見やハイキングでにぎわう信夫山のふもと)で田楽茶屋として商売していました。ただ、暖簾もすっかり汚れ果てていましたが、妻と一緒に店を切り盛りしてきました。50歳のときに蕎麦屋に業態を変えました。もともと蕎麦は好きで、有名な蕎麦店に仲間と通っていました。それが高じて蕎麦打ちを始め、店の業態を変えるまでになりました。
元来の性格なのでしょう。考えに考えて、こだわりにこだわって、本質を突き詰めてきました。自分よりも美味しい蕎麦を打つ人のことも研究しました。「上野藪そば」の鵜飼良平氏や柏「竹やぶ」の安部武雄氏には親しくしていただいていますが、この二人は本質を分かっている方たちですね。
―お店を経営する上で大事にしていることは何ですか?
紺野理事長■この土地に合った店で、土地に合った料理を出すことを常に考えてきました。もりそばは当時から1,000円で決して安くありませんでしたが、この場所とこだわった食材に見合った値段です。ただし30年間、一度も値上げをしていません。売れるとか売れないより、「このもりそばは1,000円いただかないと合わない」という発想でした。
震災後は「いつ終わってもいい」と考えていた時期もありましたが、お客様が来てくれる状況を見て、改めて商売をやっていることを自覚しました。本当にお客様にも感謝しています。美味しさを突き詰めて、お客様にご提供する。この繰り返しです。
京都に懐石辻留という料理屋があります。ここの辻嘉一氏(10年前に亡くなる)が書いた「茶懐石」という本がありますが、辻さんに近づこうと思って教科書にしてきましたが、それは不可能だと気付いたときに教科書からバイブルになりました。
毎日、開店前に「お客様が気持ちよく、食べやすく、楽しく、美味しく感じていただけるように…」と唱和していますが、これがいかに難しいことかを従業員に説いています。
―最後に、大会への意気込みや見どころなどをお聞かせください。
紺野理事長■繰り返しになりますが、是非多くの人に福島に来ていただき、触れて知っていただきたい。福島県の組合では、2,000人の参加者を目標に青年部を中心に盛り上がっています。福島はひどい状況になりましたが、ニュースではわからないことが多いです。できることなら第一原発を見せたいと思っていますが、それはなかなか難しいかもしれません。でも、近くまではご案内するつもりです。沢山の課題はありますが、福島は「大丈夫!」というところも見せたいと思います。
是非、大会へのご参加をよろしくお願いいたします。
幕末動乱の舞台となった会津若松城 茅葺屋根の家が数多く残る大内宿 大会会場となる飯坂温泉