味つづり〈77〉 倉橋 柏山
         
江戸の味 しゃも鍋  
   

 子供はいくつになっても子供。弟子もしかり。還暦を過ぎても若い者という気持ちが抜けない。修業中、盆や正月休みで国(福島県)へ帰ると必ず、みやげ代りに鶏を持って来る。放し飼いの老廃鶏で固くて食用にはならない。国でも困りはてて持たせるのであろう。「なんでこんな鶏を持って来るのだ!!」と何度も言ったことがある。ただ時間をかけて煮出すと実にいい味のだしが出る。
 地鶏について明確な定義づけはないそうであるが、一般にブロイラーに対して、日本在来の品種から作られた鶏を地鶏と呼ぶそうだ。地鶏の最たるものが比内鶏、名古屋コーチン、薩摩しゃもなどである。
 過日、しゃも鍋をつつきながら地酒を飲む機会に恵まれた。
 しゃも(軍鶏)は、シャムロ鶏の転略。鶏の一品種でシャムともいわれ、江戸時代の初期にシャム(現在のタイ)からもたらされたといわれる。軍鶏は、一般の鶏に比べ、羽毛が少なくて首が長い。背が高く勇壮で闘争を好む性質で見るからに精悍であるため闘鶏用として飼われた。闘鶏で負けると食べられてしまう。闘鶏用として育てられるから肉は固いが、味は美味である。
 池波正太郎氏はしゃもが好きだったのか、「鬼平犯科帳」や「藤枝梅安」の小説にしゃも鍋が出てくる。
 獣肉を忌み嫌った江戸時代でも鶏類は食べたようで、しゃもは江戸っ子好みの味だったようである。
 子供の頃見たしゃもは、骨と筋肉だけに見えるが、胸の肉質は豊かでひきしまっていて美味であったが、肉が固いので時間をかけて煮た。
 東京は人形町に、しゃも肉を用いた親子丼で行列の出来る店がある。
 肉以外何も入れず卵3個のみとか。
 茨城県の奥久慈のしゃもを取り寄せ何度か食べているが、食用に飼育するためか肉質はやわらかく、クセや臭みもなく噛ごたえが物足りない。
 奥久慈のしゃも鍋をパンフレットから引用すると、鍋にしゃも肉のぶつ切りを入れて、水を注いで火にかける。途中アクをとりながら30分ほど中火で煮込む。味付けは、醤油、みりん、砂糖を適宜加える。野菜は季節のものを食べよく切って加えるとある。ここで欠かせないのが、長葱、焼豆腐、笹がきごぼう、こんにゃくである。鍋を囲んでグツグツ煮ながら食べる味は格別美味である。
 今はいろんなきのこが出回るので椎茸、しめじ、えのき茸、舞茸など好みで加えると味に深味が出る。
 骨付きのぶつ切りなら30分ほど煮込んでもいいが、正肉を食べよく切り、だし汁に酒を一割ほど加え、十分ほど煮込み、醤油とみりん少々で調味する。しゃも特有の歯ごたえを味わうことが出来る。これは私の個人的な味好みである。
 すき焼き風に、溶き玉子を付けて食べても旨い。この場合の味付けは甘辛いほうがいいだろう。
 しゃもの炊き込みご飯も旨い食べ方で、しゃも肉は1センチ位の小角に切る。人参、ごぼう、椎茸は細切りにする。細切りのこんにゃくは2・5センチ位の長さにそろえる。
 米は洗って水加減をする。昆布を加えて一時間ほど浸水しておくと昆布から旨味が良く出る。酒と淡口醤油と塩少々で調味して、切りそろえた材料を加えて炊きあげる。昆布から旨味が出ているので、沸騰したら昆布は取り出す。刻み三つ葉、浅月、絹さやなどの青物のいずれかを散らすと彩どりと食感も良くなる。
 親子丼は通常、玉葱や長葱を細く切って加えるが、行列の出来る店は何も入れない。1センチ角位に切ったしゃも肉に調味しただし汁(だし汁1カップに対し、醤油大さじ4杯、酒、みりん各大さじ2杯、砂糖大さじ1杯強)でしゃも肉を煮て、溶き玉子を流し入れる。半熟状になったらもう一個分の溶き玉子を上から平均に流し入れ、表面が半熟状になったらご飯を入れた丼にのせる。ご飯は熱いものを用いる。卵を3個用いると実に旨いが、2個ぐらいで作ってみることである。作れば高級な商品となるので、材料は形良く同じ大きさに切り、軽く下茹でをして水にさらして充分に水気を切る。