第十代全飲連会長
加 藤 隆 さ ん を 偲 ぶ比類なきリーダーとして、私達を導いて下さった加藤隆会長は、温厚な人柄で、人と人の絆を大切にされるその姿勢には皆が感銘し、多くの組合員に慕われておりました。
天性の人付き合いの良さ、面倒見の良さ、明るい性格と優しい笑顔には、人を惹きつける不思議な魅力があり、笑顔で談笑する輪の中心には、いつも加藤会長のお姿があったことを昨日のことのように思い出します。
余人を持って代えがたい加藤さん
その存在感と尊い志高崎市長 富 岡 賢 治
加藤さんのお人柄と、高崎そして日本全国の飲食業の繁栄のために、獅子奮迅の活躍をされた加藤さんの志に接し、お付き合いを深め、一緒に仕事をしてきた方々ばかりと存じます。加藤さんがお亡くなりになってしまった今、さみしさという言葉ではとても足りず、心に大きな空間ができてしまったことは、皆様方共通の思いだと存じます。
十日前お見舞いに参りました際には、食欲を示され、次の会議などの心配をされていましたので、まさかこのような日をこんなに早く迎えることになるとは、驚きであります。
私たちは、加藤さんが余人を持って代えがたい方でありますことから御身体を心配しつつも、加藤さんに甘えてきたため、無理を強いてしまったと本当に申し訳なく思っております。
ただ、考えてみますとこのような日を迎える直前まで、みんなに頼りにされ、文字通り日本の第一線で直前まで活躍されたままでお亡くなりになってしまう人生でありましたことは、大変不遜な表現ではありますが、人間の一生としては真にうらやましい、大変価値のあることと思っております。
加藤隆さんは、どんな要職にありながらも、気さくで飾らないお人柄で、接する全ての人たちに親しみと信頼感を与えました。
これからも、飲食業界のより一層の充実発展や市政発展のためにご指導やご教示をいただけるものと思っておりましただけに、誠に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りします。加藤さんありがとうございました。
脳裏に焼き付く
生涯現役で組合活動に臨んだ真摯な姿群馬県飲食業生活衛生同業組合 専務理事 加 川 正 孝
加藤理事長の訃報に接して、あまりに突然のことに、みな茫然とするばかりでした。あれだけお元気で、精力的に組合活動を続けてこられた加藤理事長が卒然と逝かれたことは、私たちにとって余りに大きな痛手であり、深い悲しみに包まれております。
思えば、十八年もの長きにわたり、理事長という大役を務めながら、飲食業界の近代化や発展に寄与してこられました。これまでの功績は誠に大きく、組合員にとっても偉大な指導者であり、尊敬を一身に集めておりました。
その手腕と行動力には限りがなく、私たち群馬県の組合はもちろん、全国飲食業生活衛生同業組合連合会や我が国の飲食業界全体の振興に尽力され活躍してこられました。
群馬県においては平成六年に理事長に就任後、青年部の創設に力を注ぎ、組合を担う次世代の育成に着手しました。そして、平成十一年には全飲連全国群馬県大会を高崎市で開催し全国から二千三百名の組合員の皆さんを群馬にお招きしました。さらに、飲食店の活性化と地産地消の推進を目的に「群馬の新メニュー」の開発に取組む等の功績を遺されました。
また、全国においては、全国飲食業生活衛生同業組合連合会の理事に就任すると直ちに、誰からも親しまれる人間性と、組織をまとめあげる個性的な政治センスを発揮し、副会長・総務委員長として田中清三前会長を長く支えてこられました。そして、平成二十年に会長に就任すると、民主党政権の飲食業界に対する「仕分け」問題、リーマンショックに端を発した飲食業界の経営危機等への対処など、まさに飲食業苦難時代に会長を務められ、組合員の経営安定化に尽力されたのです。
さて、日本の飲食業は、私たち地域の零細企業や個人経営により支えられているのが現状です。年間二十数兆円とも言われる売上高を占める飲食業は、その多くが地域の零細な事業主により支えられています。また、飲食店が日本の事業所の中で占める数は、正確な統計はありませんが、八十万軒とも言われています。飲食店は他の産業や業界を遥かに凌ぐ従事者が存在し、日本経済の中でも大きなウエイトを占め、国民の食生活を支えているのです。
加藤理事長は、私たち飲食業界が、日本経済の中で大きな役割を果たしていることを自覚して、国民の食の安全と安心に貢献しているという自負と誇りを持って、一致団結して活路をひらいていくことが重要だと常々訴えていました。そのためには、私たち飲食業界が自らが創意工夫をして「地域の飲食店だからできる地域に根ざした 顔の見える店づくり」に取組んでいくことが大事だと指摘しておられました。
先見の明を持ち、率先して業界を牽引して下さった加藤理事長のお考えが今後の飲食業界を発展させていくことは、疑いようがありません。
私たち飲食業界は、これまで何度も苦境を乗り越えてきました。加藤理事長の教えである「地域に根ざした営業、お客様本位の顔の見える営業」こそが私たちの「財産」であり「力」です。厳しい時代だからこそ、このことを大事にしてかなければなりません。
生涯現役で組合活動に臨む加藤理事長のお姿は、わたしたちの脳裏に焼き付いて、いつまでも消えることはございません。身をもってお示しいただいた教えは、私どもの心の中に深く刻まれております。今後もご遺志を引き継ぎ、強く結束を固めていく所存です。
加藤理事長。本当に長い間ご苦労さまでした。どうか安らかにお眠りください。
弔 辞
青雲の志をもって歩んできた同志
故 加藤隆さんへの中曽根康弘元内閣総理大臣の弔辞故 加藤隆様の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げ、ご生前の御恩情に深く感謝と御礼を申し上げます。体調を崩され、入院加療に努められていらっしゃると伺っておりましたが、順調に回復されておられるご様子に安堵いたしておりましただけに、あまりにも突然の訃報に驚きとともに悲痛の念深く、誠に残念であり寂漠たる思いであります。
互いに、青雲の志を持って歩んできた同志であり、また、私よりも、まだまだ若い年齢であっただけに、寂しさとともに、世の無常を禁じえません。もっと、ご活躍頂きたかった、後進のご指導を頂きたかった、と残念でなりません。特に、近年は全国飲食業生活衛生同業組合連合会の会長として精力的に活動を展開され、全国の大会、会合にも積極的に出席され、組合員とともに連合会の発展繁栄のためにご尽力されておられただけに連合会の皆様の悲嘆の程も如何ばかりかと拝察いたします。また、一方では、高崎市、群馬県にあって数々の役職に就かれ、県内飲食業の振興のためにもご活躍いただいておりました。そのご功績は誠に大きなものがあります。
私に対しましても、多大なるご支援とご厚情を頂き、五十年を超える間、陰に陽に私を守りお助け頂きました。なかでも、昭和五十四年に中曽根康弘後援会、高崎連合会幹事長に就かれるやいなや、積極的に地元・高崎を廻られ、隅から隅までこれを把握し、人一倍の気遣いをされながら、後援会組織を練り上げ前にも増して活発な活動を展開されるまでにして頂きました。これも偏に加藤さんの能力とお人柄のお陰であります。その気さくなご性格と相俟って、飄々として、いつの間にか思う方向へと事を運んでしまう力量こそが加藤さんの真骨頂でありました。新潟県に生まれ育ち、ご苦労を重ねられながら教員免許を取得し、縁あって高崎に拠点を置かれることとなった加藤さんが、その後、事業を発展させ、県、市の食堂組合や食品衛生協会の公職の重責を担いながら自らを磨き上げることで身につけた正に人徳であったと思います。そうしたご功績は平成十九年、旭日双光章受章となって結実します。
私の政界引退の後も、青雲塾後援会幹事長として大いにこれを盛り上げ後援会活性化のためにご活躍をいただいておりましただけに、こうして、同志を失うことは残念の極みであり寂しい限りであります。互いに研鑽し、自らの人格的完成を目指す青雲塾の精神を加藤さんも、また、自ら実践しこれを極めようとしたのであります。謹んで、敬意を表したいと存じます。今は、ただ、残されましたご家族の皆様のご平安とともに加藤さんの御霊の安らかなお眠りをお祈りするばかりであります。
加藤さん、長い間、本当にお世話になりました。そのご恩義に深く頭を垂れるのみであります。謹んで、長きに亘るご厚情、ご支援に感謝申し上げ衷心からのご冥福をお祈りいたします。誠に、ありがとうございました。
平成二十四年十一月十日中曽根 康弘