味つづり〈62〉 倉橋 柏山
箸使いの躾は幼児のうちに私の勤める調理師専門学校では、調理実技試験を行う際、箸の持ち方の試験も行っている。大豆を箸ではさんで別の器に移す、簡単な箸使いで、大勢、短時間であるため、正確に箸を持って、使いこなすかを把握するためには少々無理がある。それでも要注意と思われる子は一割近く居る。
料理店を営み、料理見習いも常に五人ほど居た。その中には箸使いが出来ずに困った子も居た。盛りつけにかかる前は、しっかり箸を持つが、仕事に追われ忙しくなると、がっちり五本指で握っている。本人は気にして一生懸命に正しい箸使いを心がけていたが、2年居ても矯正出来ず去って行った。すべてではないが、大人に近くなるほど、箸使いの矯正はむずかしいようである。
店をたたんだあと、北鎌倉の料理店で6年ほど包丁を握っていた。調理場から客席が見え、お客様の食事の様子が丸見え、意識して客席を見るわけではないが、食事の進行状態も気になるので、どうしてもお客様のほうに目が行く。
見目うるわしき女性が胡座に近い姿で、握り箸で食事をしている。その隣に、正座をした外国の若い青年。上手な箸使いで、美味しそうに日本料理を食べている。びっくりして、あらためて見直すほどである。
年輩の方は別にして、若い方、特に女性に、箸使いの気になる方が目につく。
長女の長男は、小さい時から私のところで食事をしていて、家へは寝に帰る状態が長く続いた。中学一年になる今でも、夕食は私のところで食べる。箸のあげおろし、つまり、孫の躾はかみさんの役割が大きい。「目に入れても痛くない」ほど、孫はかわいい。昔から、じじばば育ちは「三文安い」といわれる。それほどあまやかしたわけではないが、箸を上手に持つことが出来ず苦労した。箸は小さいうち「2才〜7才位まで」に、正しい持ち方を、やさしく、あせらず、根気良く教えることである。私には孫が三人居る。箸がなんとか見苦しくない程度に持てるようになったのは、それぞれ年齢差が異なる。長女の孫は、小学一年近くまで上手く持つことが出来なかった。小さいときに正しい箸使いを教えれば、一生美しい箸使いで、楽しく、美味しく料理を味わうことが出来る。
個人差はあるが、大人になって、箸使いを矯正するのは時間もかかり、なかなか大変なようである。
純粋に箸だけで食事をするのは日本民族だけであるといわれる。特に日本人の箸使いは美しいといわれれてきた。
今、若い方の箸の持ち方、使い方が乱れている。
溜め息が出るほど美しい箸使いの人もいる。が、見苦しいほどひどい箸使いも、これ又多いのにびっくりする。
食生活の欧米化と共に、若い方の多くは、ナイフ、フォーク。ナイフ、スプーンの日常化が多く、箸をあまり使わないことにも拍車がかかっているようである。
皿に料理を盛り、ナイフ、フォークで食べる。これが悪いといっているのではない。
日本人は、美しい箸文化の誇れる民族である。それが、今、若い人の50%近くといわれるほど、箸を上手に使って食事をすることが出来ないと、何かの本で読んだ。
箸は幼児のうちに、両親、あるいは祖父母が根気良く、やさしく教えてあげれば、一生美しい箸使いで、美味しく、楽しく料理を味わうことが出来る。
美しい箸使いで食事をする姿を見ると、すい寄せられる気分になる。下手な箸使いを責めるのではない。両親がしっかり目を光らせて躾をすることで、一生恥ずかしい思いをせずに楽しく食事が出来るのである。