味つづり〈43〉 倉橋 柏山
江戸時代豆腐の水きりは灰であった
「北嵯峨の水美しき冷奴」鈴鹿野風呂。豆腐は冷奴が最高の食べ方である。
私は豆腐が好きで三日に一度は食膳に豆腐が出る。時には美味しい豆腐も食べるが、かみさんが足腰が悪いものであるから近くのスーパーの豆腐が多い。大分古いことになるが、かみさんと京都に行った折、嵯峨野の名のある豆腐店で重いのをがまんして数丁買い求め、車中カップ酒の肴に、家まで待ちきれず食べたことがある。昼めしは老舗のスッポンを予約しておいたので、スッポン酒と共にコースを堪能した。仲居さんに豆腐を買ったことを話したら、帰りに醤油と箸を包んでくれた。グリーン車ではあったが、パックに入った大ぶりの豆腐を箸でつつく姿は格好のいいものではないが、大変美味しく一丁ぺろっと食べてしまった。
豆腐は中国で発明され、今日のようになるまでには長い年月を要したといわれる。水に一晩浸した大豆をすりつぶして火にかけ、袋に入れてこし取った白い液体(豆乳)に苦汁(塩化マグネシウム)を加えて凝固させたものが豆腐で、文章では簡単に作れるが、ここに至るまでには長い年月がかかったものであろう。豆乳に味をつけようと塩を加えた。昔の粗塩は精製が十分でなく、ヨーグルトのようなプヨプヨの状態になった。このあたりがヒントで、今日のような豆腐になった。豆腐の発明は唐代の末(618〜907年)頃であろうといわれる。
わが国における豆腐の初献は平安時代の1183年、奈良、春日大社の神主の日記によるといわれる。天明二年(1782年)に、豆腐料理の集大成というべき「豆腐百珍」という本が刊行され、さらに「豆腐百珍続編」まで出るほど、日本人は豆腐好きなのである。
豆腐百珍に「包油(つつみあげ)」という、今日の揚げ出風がある。板の上に灰を2cmほどの厚さに敷き、その上に乾いたフキンを置き、さらにその上に和紙をのせ、豆腐一丁を六つに切って和紙に包んで糸で結び、和紙の上にのせて水気を切って油で揚げる。
豆腐の水切りの多くは、フキンに包んでまな板などの重しをのせることが多いが、灰の上に置くというのは、味を余りこわさず、やわらかく水を抜くことが出来る。ただし、長く置きすぎると水気が抜けすぎる。
だし汁に一割ほどの醤油を加えて火にかけ、薄葛でとろみをつけ、油で揚げた豆腐を入れてひと煮立ちさせて器に盛り、おろし山葵を添えたものが、つつみ揚げである。今風なら水気を切って葛粉をまぶし、高温の油で揚げて器に盛り、だし汁5、みりん1、醤油1を煮立てかけ、小口切りの長葱、おろし大根、生姜を薬味に揚げ立ての熱々を食べる。
長いこと包丁を握っているが、今日、灰の上に豆腐をのせて水気を切るというのは聞かない。江戸時代、灰はいくらでもあり、しかも豆腐全体の水気をやわらかく抜くことが出来る理想的な方法であったようである。
豆腐を奴に切って赤梅酢に三〜四日漬ける。暑い日に冷たくして食べ、梅酢の酸味のきいた彩りは盛夏にふさわしい食べ方である。これも豆腐百珍であるが、叩き豆腐というのがある。百珍では焼き豆腐とあるが、木綿豆腐の水気をよくきって粗く叩き、味噌を混ぜてまんじゅう形にして小麦粉をまぶして油で揚げる。味噌の量を少しすくなくして叩き、糸引き納豆と刻み葱を混ぜて揚げると酒のつまみになる。浜納豆とつなぎに卵黄少々混ぜてもいいだろう。
雷豆腐は今日でも作られる。鍋を熱して胡麻油を入れ、水気を切った豆腐をつかみ崩しながら入れて煎りつけ、醤油をまわりから差し入れ、葱の小口切り、生姜、茗荷を刻んで入れ、強火で炒め、七味唐辛子の薬味で食べる。百珍では、大根おろしやわさびとなっている。
私の好きな食べ方は、絹ごし豆腐を大ぶりに切って器に盛り、白菜キムチと糸引き納豆を叩いてたっぷりのせ、醤油を一寸落して食べる。めしのおかずに最高である。