理事長訪問 第3回 群馬
群馬県飲食業生活衛生同業組合 加藤 隆理事長に聞く

厳しさを乗り越え、生き残りをかけて、
今、行動しなければなりません。

―今、加藤理事長が最も力を入れて取り組まれていることは?
加藤理事長(以下、加藤)●今年、群飲環は省庁再編に伴い、名称が「群馬県飲食業生活衛生協同組合」と変更になりました。名称が変わり、新世紀を迎えた今こそ、気分を一新してほんとうの意味で組合を変革していくチャンスであると思います。
―加藤理事長は常に、時代のニーズということを言われていますが。
加藤●時代や業界の動きに敏感である事が必要です。飲食業界では、今「中食産業」が活気づいています。われわれ外食業界から「中食」に参入する大手企業をみてもわかるように、中食産業は時代のニーズを的確に捉えたものであるといえるでしょう。「安く、おいしく、手軽さ」といったことが、中食ブームの要因だと考えられます。
 このような状況の中で、われわれも、こういった時代のニーズを把握し、対応していかなければならないと思います。長引く不況を嘆いているだけでは衰退するばかりです。厳しさを乗り越え、生き残りをかけて、今、行動しなければなりません。
―そのためには、どういったことが必要なんでしょうか?
加藤●われわれは自分の店が地域に役立っているか、そして、いかに地域や地域の人々の暮らしと、どのように関わっているかを、もう一度、確認することが必要ではないでしょうか。また、IT革命に象徴される時代の大きな潮流にも関心をもたなければなりません。情報通信技術の進展は人々の生活や意識を大きく変化させつつあります。ネット社会の中で情報を的確に把握するとともに、自らの存在を発信していくことが大切になってきています。
―勉強が必要ですね。経営者としてのセンスや姿勢が大きく問われているのだと思いますが?
加藤●情報化社会に生きる人々の意識や生活スタイルをいち早く察知し、これに対応した経営をしていくことが、商売になくてはならない時代なのです。
―ところで、群馬の組合は今年で創立何年になりますか?
加藤●昭和42年7月に、亡くなった木村国治郎前理事長を中心に、私の義父も参加し前橋で創立総会が開かれました。ですから今年で34年になります。群飲環の創立はスムーズにいったんです。それ以前に、昭和21年から同じく木村前理事長らが群馬県飲食業組合連合会を組織され基礎があったわけです。
―加藤理事長が理事長に就任されたのはいつごろですか。
加藤●平成6年ですね。木村前理事長が戦後約50年にわたり、担ってこられ、つねに協調と団結を維持されてこられたので、この精神をしっかりと受け継いでいくことが大きな使命でした。それと、バブル経済の崩壊に象徴されるように時代が大きく変わり始めた時期でしたから、新しい飲食業のあり方を模索しなければならないという大変重い課題もありました。
―2年前に全国大会を開催しましたが、印象に残っていることは。
加藤●戸塚栄前全飲連会長、当時の田中清三大会委員長、そして全国の理事長の皆さんの方のご協力により成功裏に終わる事ができ、今も感謝の気持ちで一杯です。群馬の大会は「もてなし」の心で全組合員が一丸となり、取り組ませてもらいました。大会をなし遂げた事が、組合員が自分たちの組合であることを意識する契機となりました。また、これからの組合活動を担っていく人材もたくさん育てることができたと思います。
―群馬の大会は音楽ホールでの開催でしたね。
加藤●前橋のグリーンドームというコンベンション施設にするか、高崎の音楽センターにするか随分と悩みましたが、今までとは違った大会にしたいという思いで、交通の利便性と高崎の街や人にも触れてもらいたいということで、中心市街地の真ん中にある音楽センターで開催しました。天候にも恵まれ、今でも、ホットしています。それと、先程、木村前理事長のお話しをしましたが、いずれは群馬で全国大会をと願っていた木村さんに群馬の大会をお見せすることがができなかったのが心残りです。
―ところで、加藤理事長ご自身のご商売の方はどんなお店を経営されているのですか?
加藤●私の店は屋号を「松月」といいます。先代が大正の末期に高崎で2番目に古い洋食店として開業しました。以前は、たくさん店を出していましたが、現在は、結婚式場と国立の研究機関の食堂などをやっています。
―加藤理事長は、飲食業界のお仕事ばかりでなく、さまざまな分野で、地域に根を張った活動をなさっているようですね。
加藤●実は私は群馬の出身ではなく、新潟生まれなんです。縁あって高崎にくることになったのですが、多くの人達が暖かく迎え入れてくれ、支えてもらいました。よそ者の私に何かと世話を焼いてくれました。 上州人はよそから来た人に親切なんです。人を受け入れる土地柄なんですね。そんなことで、自然に地域に溶け込んでいくうちに、青年会議所の理事長やPTAの会長や高崎祭りの実行委員長もやらせてもらいました。また、市の教育委員長も去年までつとめさせてもらいました。少しでも地域に恩返しできればとの思いでやってきました。今では、私の方がすっかり上州人らしいと皆がいいます。
―群馬には著名な政治家がたくさんいますが、加藤理事長と政治とのかかわりは?
加藤●とくに高崎は福田、中曾根、小渕という3人の総理大臣の地元ということで誇りをもっています。私は中曾根康弘先生に、長くご指導をいただき、後援会の重責も担わせていただきました。また、松浦幸雄高崎市長とも青年会議所以来のお付き合いで、共に高崎の「まちづくり」をやってまいりました。政治と長くかかわってきたことで、多くのことを学ぶことができました。
―それにしても多忙な毎日だと思いますが。
加藤●田中会長のもと、全国の理事長さん方のご協力で、非力ながら全飲連の総務委員長も担わせてもらってます。群馬の飲食店組合や食品衛生協会の会合、全飲連の会合、それに自分の店の事も現役ですから、忙しく毎日をすごさせてもらっています。
―最後に、一言ございましたらお聞かせ下さい。
加藤●新世紀を迎えた今こそ、厳しさを乗り越え、つねに夢を育んでいくことのできる組合活動を展開していけるよう皆様と共に努力を積み重ねていきたいと思っています。

取材を終えて 
 地元では「かとうちゃん」の愛称で呼ばれる加藤隆理事長。大変失礼であるが、その人懐こく温厚な性格が、きっと誰からにも好かれ、頼られるのだろう。
 飲食業界に止まらない幅広い分野での活躍は、加藤理事長を「かとうちゃん」と呼ばせるその人柄にあるのだろう。普段は温厚な加藤理事長、ここぞという勝負時には人々を圧倒する力強い指導力を発揮する。
 時代の流れと人の心を捉えるセンスは、きっと新潟県人の粘り強さと上州人の先取り精神の両方を持ち合わせているからだろう。
 さまざまな活動を通して培った豊富な経験と人脈が、変革の時代の飲食業界の舵取りに活かされ、それが組合員に安心を与え信頼を寄せられている。そして、次の時代を担う人材づくりをつねに意識している加藤理事長でもあった。