グルメの旅
豆知識〜盛岡冷麺の巻


◆「わんこそば」と「冷麺」、盛岡を訪れた人は、必ず、どちらかを食する機会があるに違いありません。そして、今や「冷麺」は、「わんこそば」を凌ぐ勢いで、全国的に静かなブームを巻き起こしているようです。「盛岡冷麺」に限らず、「冷麺」はスーパーの店頭でも手に入れることができます。夏場はとくに、焼き肉とビール、そして上がりに「冷麺」というコースが、若い人の間でも人気をよんでいます。
◆日本の「冷麺」の本家ともいえる「盛岡冷麺」の歴史は、一般的には、朝鮮半島の北部、咸興で生まれた「食道園」の初代店主青木輝人氏が、昭和13年に単身で東京へ移住。その後、昭和28年に盛岡に移り、「食道園」を開業したことに端を発します。青木氏は昭和24年、当時、数寄屋橋にあった「平壌冷麺・食道園」という店の責任者になり、この時、冷麺づくりの基礎を習得し、その時、使われていた麺が、そば粉を使わない現在の盛岡冷麺とほぼ同じ麺だったといいます。
◆青木氏が盛岡で作り出した冷麺は、故郷・咸興の冷麺をベースとし、盛岡ならではの素材を使い、盛岡の人に合うための工夫が加えられ、つくり出されました。昭和29年5月1日。この日盛岡に初めて登場した「食道園」の冷麺は一杯150円だったそうです。
◆何故、これほどに冷麺が定着したのでしょうか。それは、盛岡人はもともと麺類が好きだったこと。盛岡人は外来のもの、新しいものを積極的に受け入れる気質があったこと等が上げられるそうです。また、本場平壌と盛岡の緯度がほぼ同じ39度であるなど、いずれにしても、盛岡独自の冷麺づくにこだわり、これを追求し続けたつくり手と、「冷麺」をこよなく愛した食べ手が「冷麺」を盛り上げ、盛岡を代表する食文化の一翼を担うまでに育てあげたのです。