理事長訪問 第2回 岩手 (今年は創立30周年)
岩手県生活衛生同業組合 小野寺酉雄理事長に聞く北上の地から、飲食の未来を語る。
50年の歩みに裏打ちされた、組合活動の精神。
―岩手は、空気が爽やかですね。
小野寺理事長(以下、小野寺)●山があるからだね。6月20日の県の組合の30周年記念式典式に、田中会長もお見えになり、やはり空気がいいということを一番先に感じたと言っておられましたよ。ちょうど雨が降ったあとだったから、新緑がきれいだった。
―さて、小野寺理事長、勲五等瑞宝章の受賞おめでとうございます。今回は、この機会に小野寺理事長に是非、お話を聞きたいということでおじゃましました。さっそくなんですが、小野寺理事長は、いつごろから飲食のお仕事に就かれていらっしゃるのですか。
小野寺●私の実家は農家だったのですが、農業も大変な時代で、昭和12年頃、水沢の「更科」というお店に入ったんですよ。でも、昭和16年に徴用で横須賀に行きました。戦地にも赴き、終戦の年に東京に帰り、22年に水沢に帰ってきたんです。農業をやっていたから食べるものは何とかなりましたけど、商売はできませんでした。その後、北上で、製麺所を始めたんです。当時、うどんを加工して売っているところはなかったんです。それから、昭和29年に今の店を始めたんです。
―ご商売を始めたころから、組合活動にもかかわるようになったのですか。
小野寺●29年に開店して、当時、私は調理師免許を持っていなくて、法律が29年から施行され、30年に保健所の指導で一週間講習を受けたんです。北上で試験をやったわけです。今から思うと形だけの簡単なものでした。そして、県で調理師会を設立することになり、北上も入らなければならなくなって、北上でも創設されることになり、私もまだ若かったので、調理師会を手伝えと言われ、役員になり会費集めをさせられたんです。それが、はじまりですね。その後、33年に北上の飲食店組合の会長になれと言われたんです。なにも分からないからと断ったのですが、先輩が、自分が副会長としていろいろ教えるからと言われて受けたんですよ。
―当時の組合活動で一番、苦労したことはなんですか。
小野寺●会員をいかにして増やすかということが、一番の課題でした。それで、何をしたら人が集まるだろうか、ということでやったのが、地元の温泉に行って総会をすることでした、一晩泊まりで。安い会費で、県内のほうぼうでやりました。北上で総会をやっても意味ないからね。それじゃあ、ちっとも人が集まらないですよ。それが温泉でやると、旅行に行く気分もあってか、人が集まるようになった。皆から、今度はどこに行くのかと要望が出たりするようになりましたよ。
毎年、保健所さんも警察も、一緒に招待して、そこで挨拶をしてもらったり。会員が一ぺんに増えました。それがまず良かった。会費も集まるようになりました。
―小野寺理事長は防犯関係の活動も永らくおやりになっていますね。北上はいろいろあったようですし。
小野寺●昭和37年に、我々の組合と、料理屋さんの組合が、警察に呼ばれ懇談会を行いました。そして、防犯組合の責任者をするようになったんです。新聞やラジオを使って大々的に活動を行いました。暴力追放大会も何回もやりました。最後には北上の飲み屋街にはやくざがいなくなりました。そうとう我々の業界の活動が効いたと思いますよ。
―岩手では全国大会が昭和63年に開催されましたが、当時を振り返って見ていかがですか。
小野寺●当時、津志田理事長が体調が悪く入院しておりまして、私を含めて三人の副理事長が中心になり開催しました。理事長不在の全国大会を組合員あげて、成功させたことが何よりの思い出です。
―さて、岩手の組合も創立三十年を迎えましたが、理事長として組合活動をしていく基本的なお考えをお聞かせ下さい。
小野寺●新しく商売を始める人はなかなか組合に入らないんです。入ってもメリットがないと言うんですが、私は「メリットは自分でつくるんだ」と総会の挨拶でよく言うんです。メリットは会長や役員がつくるのではなく、みんなで、絞り出してて作っていくのが組合なんだと思うんです。メリットを求めて入るのではなくて、毎日の商売の中で、突き当たることを、組合にぶつけていって、それを全体の意見として、県や中央に持っていくということが大切です。
―岩手の県の総会は支部の持ち回りで開催しているそうですね。
小野寺●そうなんです。どこでもそうだと思いますが、組合を脱会していく動きをいかに食い止めるかが大きな課題です。これに対応するためにも、県下全部当番制にして総会をして、皆が真剣に組合活動に取り組めるようにしています。小さいところはなかなか難しいのですが、だんだん大きくなってくればやれといっています。このごろは、来年はうちでという話も出てきました。小さい支部では三つくらいまとめてやっています。総会をやるとその地域にも還元できるんです。我々が行ったら、なるべく外に飲みに連れ出して安く飲ませて活気をつけろと、釜石に行ったときなど、二次会にみんな繰り出すから、それだけでも潤う。そういうことも支部で総会をやるメリットになります。総会をきっかけにして組合員になる人も出てきます。組合員が増えれば会費も増えるし、いろいろなことができますからね。
―これからの飲食業の経営に必要なことや、岩手の飲食業のありかたについて、どんなお考えをお持ちですか。
小野寺●好きな言葉があります。勝海舟の言葉で「世間は生きている、理屈は死んでいる」という言葉です。徳川幕府が倒れて、江戸の徳川家で使っていた料理屋さんが、もう明日から営業ができなくなった。どうするんだろうと思っていたら、昨日まで徳川家の侍が来てわーわーやっていた料理屋が、次の日から一杯飲み屋にしてしまった。丼物だのうどんだの、それを見て勝海舟がびっくりして、こう言ったのです。世間は生きているというのはこのことだと。飲食業の商売のあり方を言い表していると思います。
岩手県でも、次から次へと変化が起きています。それと、岩手は食の素材が豊かな土地です。観光県、岩手の食べ物、食事、必ずいいものが昔からあるんです。山菜や三陸の海の物いいものがたくさんあります。昔から食べているものを思い出してつくったり、とにかく自分の土地の特殊なものをやっていくことが大切です。例えば、イカの塩辛、秋になると山菜ができる、茸がある、塩辛と茸を混ぜると、お酒ととても合う。長持ちもする。海のものと山のものを合わせて気の利いた料理をつくったらいいと思っています。
―今日はどうもありがとうございました。これからもますますご活躍なさって下さい。取材を終えて
50年を超える業界での活躍を、淡々と語っていただきました。真面目で、気骨があり、飾らない人柄が岩手県の飲食業のリーダーとして慕われていることを実感できたお話しでした。小野寺理事長は「古い考えだけど、江戸時代なら私たちの職業は最低の職業だった。私の親などは泣き泣きこの商売に出した。だから、低姿勢が一番だということです。やることが偉そうではだめです」と取材中、何度もおっしゃっていました。たしかに今風の考えではないかも知れませんが、なぜか小野寺理事長の言葉には説得力があります。
厳しい時代の仕事に立ち向かう姿勢として、このような気持ちの大切さも忘れてはならないと思いました。