味つづり〈97〉 倉橋 柏山
       
湯 桶

 私は茶道の先生方と四十年ほど懐石料理を勉強しているので、度々お茶事のお招きを受ける。
 茶事懐石では、しめくくりに「湯桶」が出される。今日、湯桶には多く煎り米が用いられる。
 煎り米は、洗米を乾燥させてほうろくで香ばしくきつね色に煎りあげた米のことである。
 こだわりの茶人は、羽釜を用い、朶を燃やしてご飯を炊くと釜底にはお焦げが出来る。朶を燃やして羽釜でご飯を炊いてもお焦げが出来ない炊き方はあるが、お焦げが出来てこその羽釜炊きの美味しさである。
 うっすらとお焦げが出来たご飯を裏返して残り火で焦げ目を付ける。
 これを湯桶という皆具に入れ、淡い塩味をつけたお湯を注ぐのが、本来の湯桶である。
 四つ椀にすこし残したご飯に、湯の子掬いで湯桶の湯を注ぎ、輪切りの沢庵で、湯漬けを啜りながら四つ椀を清める。一粒の飯も無駄にしない茶道の精神である。
 茶漬けは、もともと冷飯に熱湯をかけて掻き込んだのが原型とされる。
 湯漬けは、江戸時代、長屋に住む八つあん、熊さんだけのものではない。
 平安朝時代の貴族たちは、夏は「水飯」と名付けて、水をたっぷりかけて食する習わしであったと、物の本にある。
 鎌倉時代から戦国の末期まで、武士はもっぱら湯漬けが常食とされていた。
 江戸時代も中期以後になると、次第に今日のような贅沢な茶漬けへと姿を変えていくのである。
 鮭をはじめ、鮪、天ぷら、うなぎ、ごりの茶漬けと、旨い茶漬けは数限りなくあるが、北大路魯山人いち押しの茶漬けを紹介しよう。
 一流の天ぷら屋さんが用いる活の車海老。大ぶりの物ではなく才巻きと呼ぶ小ぶりの物である。あがり(死んでいるもの)ではなく、ピチピチ生きている車海老である。
 生醤油に酒を三割ほど加えた汁で二時間ほど煮る。とろ火で焦げのつかないように注意して煮つめる。
 高級天ぷら屋で用いる車海老であるから、よほど経験のある食通でなければ、やってのける度胸は出まい。いきなり生きている海老を佃煮風にするのは、もったいない気がしてちょいとやりきれないが、それをやりおおせるなら、その代わり無類のお茶漬けが味わえる。
 茶碗が小さければ海老を半分に切り、熱いご飯にのせ、充分な熱さのお茶を徐々に海老の上からかける。すると、やがて海老のだしも溶けて白くなる。茶碗の中は、醤油の味と良きスープが溶け合って、この上なく旨いものとなる。
 春夏秋冬「料理王国」北大路魯山人著 ちくま文庫より引用。
 ご飯は、茶碗に半分以下と少ないほうがうまいとも書かれている。
 魯山人ならではの贅を越えた茶漬けは、なかなか真似が出来ないが、納豆の茶漬けが好きである。
 小粒納豆はよく良くかき混ぜる。回数にすると六十回ほどであろうか、糸が引かなくこってり粘りが出るほどかき混ぜ、醤油を二〜三滴落としてかき混ぜる。これを三回ほど繰り返し、溶き辛子を混ぜ、少量の熱いご飯にのせて煎茶をたっぷり注ぎ、刻み葱を適宜振り入れ、熱々を掻き込む。納豆好きは匂いまで旨い。
 私は、栃木県の山間の水飲み百姓の家に生まれ、戦後の食糧難時代を経験しており、焼くと塩が表面に浮き出て花が咲くほど塩っ辛い鮭を食べている。それ程ではないものの、かなり塩辛い鮭をみやげにいただいた。
 氏素姓か、生に近い甘塩の鮭より、塩っ辛い鮭のほうが、茶漬けは好きである。早速焼いてみると、うっすらと塩が浮き出て、一寸つまむとかなり辛い。ほぐして熱いご飯にまぶして食べても旨く、残り少ないご飯の茶漬けはことのほか旨かった。