味つづり〈59〉 倉橋 柏山
           
盛 夏 の 洗 い は 絶 品  
   

 「別荘で 天蓋へ酢を 和尚かけ」。江戸川柳に詠まれたものである。
 僧侶の世界は戒律がきびしい。それをひそかに犯して女色に耽り、酒を楽しむ。別荘は妾宅であろう。酢蛸を肴にして妾宅で酒を飲んでいる。和尚とて人間である。
 天蓋は蛸のことである。酒が般若湯、鮑は伏鉦、卵を遠目鏡と、僧侶の世界では隠語を使って動物性の品物を食べ、酒を飲んでいた。
 酢蛸を肴に人肌の燗酒。髱の酌で酒を飲めたら酒好きにはたまらない至福の時である。ちなみに髱(たぼ)とは、日本髪のうしろに張り出している部分のことであるが、俗語で若い酌婦をさす。
 タコとは、頭足綱八腕目マダコ科、海に生息する真蛸のことで、日本近海だけでも四十種ほどいるそうだが、食用とされるのは真蛸、飯蛸、水蛸と割合少ないものである。一年中あまり味が変らないといわれるが、夏場が旬である。蛸は茹でて、蛸わさや酢蛸で食べるのが一般的であるが、盛夏、洗いは絶品である。生きている蛸の皮をはぎ、足と呼ばれる部分を薄くそぎ作りにして、ざるに入れ、氷水の中で振り洗いして水気をきる。湯引きといって、手がやっと入る位のお湯の中で振り洗いしてざるにとる。山葵醤油が一般的であるが、梅肉醤油で食べても旨い。ポンズ醤油に紅葉おろしも相性のいいもので、蛸の洗いはオツな食べ方である。が、蛸は生きている物を求めることが条件である。
 茹で立ての温かい足の丸かじりはことのほか旨い。大きい蛸は少々固いが、小ぶりの足の丸かじり、冷酒を片手に蛸の足を丸かじりにする。行儀のいい食べ方ではないが、野趣があって旨い。
 桜めしは通常、酒と醤油で炊いたご飯をさすが、蛸を加えたご飯も桜めしという。古くから食べられていたようで、江戸時代に刊行された料理本「名飯部類」に、桜めし、桜ずしが出ている。炊きあがったご飯に、塩茹でした蛸を薄く切って加え、飯器(お櫃)に移し入れ、ふたをしてむらす。茶碗によそり、味噌汁をかけるのが定番の食べ方。江戸時代の多くは、味噌汁か、醤油で調味しただし汁をかけて食べた。ご飯も必ずお櫃に移しかえて食べた。今風桜めしは、水加減した米に昆布を入れ、酒と塩と淡口醤油で調味して炊きあげる。水代わりにだし汁を用いる。薄く切った蛸を最初から入れてもいいが、火が止まる少し前に蛸を加えるとやわらかく美味しい。干した蛸を加える場合は、薄く切った干蛸を最初から加えて炊きあげる。茶碗によそり、紅生姜のみじん切りと、浅葱の小口切りを散らすと彩りが美しい。
 小豆と一緒に煮ると従兄弟煮という。理想は塩もみした生蛸が旨いが、茹で蛸の足を小豆と一緒に蒸し煮にすると、蛸の小豆色がさらに冴えて美しい仕上がりとなる。大根や大豆と一緒に煮ると蛸がやわらかになる。蛸は充分に塩もみをする。茹であげる場合は、煮出した番茶と醤油を熱湯に適宜加え、沸騰したら頭を持ち、足先から少しずつ入れ、足が八方にきれいに広がるように沈めて茹でる。
 卵は煮つけにすると旨い。産みつけた卵を海藤花といって、酢の物や吸い物などに珍重される。
 蛸を油で揚げるという調理法は、古い料理人は好まなかったが、最近はから揚げ、竜田揚げ、天ぷら、変り衣と油料理が今日では喜ばれるようである。薄くそぎ切りにしたものにカタクリ粉をまぶし、すりこ木で根気良く薄く叩き伸ばして油で揚げる。パリッとせんべい風で、抹茶塩でビールのつまみに最適である。
 ぶつ切りにした蛸、うど、胡瓜をオリーブオイルでからめ、刻んだ白菜キムチで和えると若い方は喜ぶ。
 アスパラガス、子茗荷、玉葱、蛸をざっくり切り、オリーブオイルで炒め、淡口醤油と柚子こしょうで調味しても旨い。